【反日韓国】韓国の最高裁判所が2012年5月、「個人の対日請求権は有効」との判断を示して以来、元徴用工やその遺族とされる人々が「強制労働被害」の賠償を日本企業に求める訴訟が韓国で相次いでいる。
しかし、日本が徴用工問題で責められる理由は本来存在しない。
10年4月2日の衆院外務委員会で、自民党の高市早苗衆院議員が示した外務省発表資料(1960年2月)などによると、朝鮮半島での労働者募集は
、企業担当者が直接現地に出向いて募集する「自由募集」が1939(昭和14)年に始まり、42(同17)年からは朝鮮の行政機関を通した募集である「官斡旋(あっせん)」が行われた。応募するかは個人の自由であり、応募しなくても罰則もなかった。
「徴用令」の朝鮮半島での発動は44(同19)年9月であり、内地より5年も遅れている。「徴用」はすべての国民に課された義務であり、
日本国民だった朝鮮人男性に適応されたのは当時の国際法に照らしても何ら問題はない。「徴用」を強制連行と言うなら、内地で徴用された日本人もすべて「強制連行」されたことになる。
朝鮮で発動するに当たって、朝鮮総督だった小磯国昭や阿部信行は、徴用工として日本企業で働くことで技術を身に着け、それを将来の朝鮮の発展に役立てることを切望し、
受け入れ側に万全の体制を求めている。徴用先も労務管理の整備された事業所に限られ、給与もきっちり法律で決め、留守家族に対しては収入減を補償している。
44(同19)年11月に徴用され、東洋工業(現・マツダ)で働いた鄭忠海(チョン・チュンヘ)という人物が著した『朝鮮人徴用工の手記』(河合出版)によれば、
徴用工たちは清潔な寮で絹のような布団で寝起きし、口に合うものを十分食べ、毎晩飲み会を開いていた。彼は140円という、当時では破格の給料をもらい、終戦後は日本人と別れを惜しみながら帰国している。
炭鉱のような危険な職場での給与はさらに高く、九州の炭鉱では月収で150円~180円、勤務成績のよいものは200円~300円であった。
当時の炭鉱には民族差別的給与制度は存在せず、屈強な朝鮮人の若者の給料が体力に劣る日本人徴用者を上回ったという指摘もある。
このような高賃金を目指して、戦前・戦中に渡航資格のない多くの朝鮮の青壮年が内地に密航している。
39(同14)年から42(同17)年の4年間だけでも約1万9200人の密航者が発覚している。もし、日本が朝鮮半島から無理やり人を引っ張って酷使したのが事実なら、密航者は見つかり次第、炭鉱などに放り込まれたはずである。
ところが、彼らは「渡航法違反」で朝鮮に強制送還されたのだ。
■松木國俊(まつき・くにとし) 朝鮮近現代史研究所所長。1950年、熊本県生まれ。73年、慶応大学を卒業し、豊田通商に入社。直後から韓国担当を務め、80~84年、ソウル事務所に駐在する。秘書室次長、機械部次長を経て、2000年に退社。
松木商事を設立する。韓国問題を長く研究しており、「慰安婦の真実国民運動」前幹事長。著書に『こうして捏造された韓国「千年の恨み」』(ワック)、『軍艦島 韓国に傷つけられた世界遺産』(ハート出版)など。
引用元: https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181001-00000009-ykf-int
みんなのコメント
謝罪とか賠償って言う割には それを受け取っても終わりがないじゃん 払い損だよ。