然なことに、大法院(最高裁に相当)が強制徴用の判決を下した日、李漢東(イ・ハンドン)元首相の著書が配達された。
この中には、1973年東京でのDJ〔金大中(キム・デジュン)〕拉致事件以降、後宮虎郎駐韓日本大使がDJの自宅を訪問した部分が出てくる。当時、これに立ち会った検事が李元首相だったという。
▼後宮大使=「田中角栄首相の命を受け、日本政府に代わって金大中先生の安全を確認しに訪問した」
▼DJ=「田中首相と日本政府に感謝する。田中首相は豊臣秀吉以降、最初の平民宰相として日本国民から人気のある方で、私も尊敬している」
▼後宮大使=「金大中先生は韓国の田中角栄ではないか」
拉致で韓日関係は複雑に絡まることになった。これを解決するために名乗りを上げた者の一人が首相だったJP〔金鍾泌(キム・ジョンピル)〕だ。
「私が東京に行って田中首相と会って遺憾の意を表する。首相が国を代表して遺憾を表することが最高の解決策ではないか。私は李完用(イ・ワンヨン)と言われても(注)結構だ」(『南山の部長たち』)。
JPはその前も李完用を「自任」した。65年韓日請求権協定の基礎となった大平正芳外相との談判の時だ。JPは「我々が会った以上は、あなたは日本の小村寿太郎になれ。私は李完用になる」と言った。小村寿太郎は日露戦争の時の日本の外相で、当時締結したポーツマス条約に対する反発で日本で暴動が起きた。
引用元: https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181101-00000003-cnippou-kr
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