歴史問題としての難しさ歴史問題は、日本がアジア各国との関係を強化する上で喉に引っかかったトゲであり続けている。その中で、今後注目を浴びそうなのが徴用工問題だ。
戦前から戦中にかけて、日本は労働力不足を補うために朝鮮半島をはじめとするアジア各国から労働力を移入した。これらの労働者に対してなんらかの補償が行われるべきか否かとするのが歴史問題としての徴用工問題である。
アジアにおける歴史問題が難しいのは、それが過去の問題であるのと同じ程度に、現代の問題でありイデオロギーの問題だからだ。歴史研究の蓄積を参照する限り、徴用工の問題にも一定の「幅」があったと判断せざるを得ないというのが、私の認識である。
労働者の徴用には、通常の出稼ぎ労働者の斡旋のような場合もあれば、強制そのものである場合もあった。
また、労働条件や給金の在り方についても、当時の各国の水準に照らして恵まれていた場合もあれば、非常に劣悪であった場合もあったということだ。鉱山などの危険な労働環境の中で亡くなられた方も多くあったことは事実である。
であるからして、すべてを一色で塗りつぶすことはできないにせよ、史実として、強制的な労働者の徴用があり、劣悪な労働環境の中で耐え難い被害にあった方が多くいたというのは間違いないことと認識すべき、というのがスタート地点となる。
「戦争を終わらせる」ということ
戦争は、人間が生み出してきた最大の不幸である。それ故に、人間は戦争をいかに終わらせるかということについても歴史を積み上げてきた。
17世紀に近代的な国際法の概念が生まれてから400年近くが経過する中で、確立されてきた原則が国家主導による一括した請求権の処理という方法である。
戦争に伴う被害を平時の損害と同じ方法で処理するとすれば、いつまでも戦争を終わらせることができなくなってしまう。
というのも、平時の民間のものさしを当てはめては、不都合なことがいろいろと起きてしまうからだ。例えば、日韓の関係では被害を受けた韓国人も多くいるのは当然だが、被害にあった日本の民間人も多くいる。
合法的に韓国内で財産を築いた日本人の多くが、敗戦に伴って帰国を余儀なくされ、財産権に大きな侵害を受けたことも事実。
平時の民間の理屈に基づけば当然補償を受けるべき被害が存在するにしても、それを言いだしたらキリがない。国家間による一括処理以外に戦争を終わらせる方法は乏しい。
この点、ドイツがイスラエルとの間で(ナチスによるホロコースト被害者の個人的犠牲のもとに)一括処理を行ったことは、当時のイスラエル政府の生存と発展のために許容されるべき考え方ということになるだろう。
イスラエルの人びとはイギリス占領下で独立を試みつつ貧しい生活を行っていたが、そこへナチスドイツによる迫害で着の身着のままの大量の難民が流入する。
建国間もないイスラエルが国民全体を養って、外敵と戦い生存していくためには、武器やインフラが死活的に必要だった。しかし、ナチスドイツにおいて強制労働から利益を得た企業を相手取った裁判は、当然続くことになる。
日本とアジア各国との戦後処理も基本的には、この考え方で処理が行われた。中国との間では1972年の日中共同宣言において、韓国との間では1965年の日韓基本条約において。韓国との請求権の問題は、「最終的かつ不可逆的」に解決したと確認されている。
この点については、外交的には解釈の余地はないだろう。安倍政権の下で合意された慰安婦問題に関する日韓合意についても、この大原則を確認しつつ、人道的な観点から取り組んでいるという建付けになっている。
引用元:https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180903-00010009-fnnprimev-int
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