9月19日、北朝鮮が誇るマスゲームを鑑賞するため、平壌のメーデースタジアムを訪れた韓国大統領、文在寅(ムン・ジェイン)は、15万人の平壌市民らの歓呼に演説でこう応えた。
「私は平壌の驚くべき発展を見た」
18日の平壌到着後、オープンカーから見渡した黎明(リョミョン)通りに立ち並ぶ超高層マンションを念頭にそう言ったのだろうか。
黎明通りは朝鮮労働党委員長、金正恩(キム・ジョンウン)が国際社会の制裁をものともせず突貫工事で完成させた高層住宅街だ。
もしくは金正恩の執務室のある党本部庁舎を訪れたとき、車に乗ったまま入ることのできる、大理石の床にシャンデリアが輝く玄関を見てそう感じたのだろうか。
平壌は外見だけを見れば、文の宿泊先となった百花園(ペククァウォン)迎賓館で金正恩がへりくだって言ったように「みすぼらしい」わけではない。
2014年から17年まで数回にわたり北朝鮮を訪問し、平壌をくまなく見て回った英国の建築家、写真家のオリバー・ウィンライトは、「この都市を歩くのは一連の舞台セットを通過するのと同じだった」と感想をもらした。
外見は堂々としていても中はガラガラ。平壌が自慢する代表的な建造物には例外なく金日成(イルソン)と金正日(ジョンイル)の肖像画、または銅像があることを確認したウィンライトは、平壌の建物を「独裁者のファッション」と命名した。
独裁者は例外なく大きな建造物を好むという解釈だろう。古くは中国の秦の始皇帝、そして旧ソ連のスターリンがそうだった。自分の権威と力を誇示し、人々に畏敬の念を抱かせるためだ。平壌の代表的な建造物はほとんどソ連をまねたものだ。
文は19日の演説で「私は金正恩委員長と北朝鮮人民がどのような国を造ろうとしているかを胸を熱くして見た」とも述べた。
金正恩がこれからどのような国を造るつもりかは不明だが、いままでどのような国を造ってきたかは外部にも知られている。
政治犯収容所が辺境にまだ存続することは衛星写真でも確認されている。3万人を超える住民が命の危険を顧みず脱出した国である。
18日の夕食会の演説で文は、破格の歓迎ぶりに感動したのかこう切り出した。「金正恩委員長と私は仲の良い恋人のように、共に手を握って軍事境界線を行き来した間柄だ」。
北朝鮮はテロ支援国家であり、金正恩はその国の指導者であることを、文はさっぱり忘れてしまったのかもしれない。
20日に文は金正恩の案内で白頭山(ペクトゥサン)を訪れた。白頭山は朝鮮民族発祥の地として知られるが、北朝鮮にとってはそれ以上に特別な意味を持つ。朝鮮労働党が編纂(へんさん)した「金日成同志の革命歴史」によれば、
金日成と夫人の金正淑(ジョンスク)は白頭山を拠点に抗日パルチザン闘争を展開し、祖国(北朝鮮)を解放した。金正恩の父、金正日が誕生したのも白頭山の麓とされる。北朝鮮にとって聖なる場所だ。
頂上にある天池のほとりで金正恩が「天池の水が乾かないよう、新しい歴史を書いていかなければなりません」と語りかけると、文は「この度、私はちょっとだけ新しい歴史を書きました」と応じた。
報道によると、韓国政府は、南北経済協力事業として白頭山麓の三池淵(サムジヨン)空港の拡張工事を優先して行う方針だという。
今回の平壌訪問で核放棄を強く迫ることなく、気前の良い約束だけをしたとすれば、後に「禍根を残した旅」と評価されるのは間違いないだろう。 =敬称略
引用元: https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180922-00000554-san-kr
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